人生を遊ぶ

バラナシの火葬場にて詐欺師と戦うの巻(世界一周33日目)

ガンジス川に沿って点在する沐浴や葬儀をおこなうGhat。中でも際立つのが遺体を火葬するManikarnika Ghat。Burning Ghatとも称されるようです。

Varanasi(バラナシ)観光の初日。夫と共にこのManikarnika Ghatを訪れました。行き交う人や動物、無数の蝿を縫い、道路に突如現れる牛のフンを避けながら細い道を進む私たちに、追い打ちをかけるように降る突然の大雨。目的地に着く頃にはヘトヘトになっていました。

Ghatまで約10mの距離まで近付き、さらに地図の通りに進もうとすると、インド人の老人が「こっちから回れ」と細い脇道に誘導してきます。案内の対価として謝礼を要求されるものと一度は無視して歩き出したものの、「そっちは観光客は通行禁止だ。金品は要求しない」と老人に食い下がられ、半信半疑ながらしぶしぶ付いて行くことに。

片側は瓦礫、もう片側は年季の入ったレンガ造りの建物に挟まれた道を歩くと、正面にガンジス川が現れました。沐浴を待っているのか火葬を見に来ているのかよくわからない多数のインド人をかき分けながら川沿いの道を左手に進んでいくと、そこが火葬場。ここまで先導してきたインド人の老人は、別のインド人に私たちを引き渡すと金品を要求することなく姿を消しました。


新たなインド人は、年の頃40代前半。穏やかな口調で、Ghatに併設されるホスピスで働いていること、ホスピスには死を待つ老人が入所していること、老人たちは亡くなったらGhatで焼かれることを(聞いてもいないのに)説明してきます。そして、これからGhatで火葬が始まるので案内すると申し出てきました。

怪しさしか感じない状況に、見学料・案内料を確認する私たち。ホスピスのインド人は、「金額はいくらでもいい。寄付だ」と言いながら、私たちが100ルピーでもいいかと確認すると、「寄付は火葬のための薪の購入費だ。最小購入単位は2,000ルピー(約3,000円)」とかなりの高額をふっかけてきました。この時点でうんざりしていた私たちは「今は現金がない。ATMでお金を下ろしてからまた来る」と言い引き返すことに。

すると、インド人の態度が一変。これまでのゆったりと漂うような話し方から強めの声色になり、今日がGhatを見学する絶好の機会であること、寄付は1,000ルピーでもいいことを畳みかけてきます。

それでも渋る私たちに、最終的には持っている現金の額を確認してくる始末。入場料と割り切れる額として200ルピーと伝えると交渉成立。当初の1/10の金額。インド人もびっくりのぼったくりです。


火葬場には8台程の火葬炉があり、その周囲には竹の担架に乗せられた遺体が火葬を待っています。あたり一面には、火葬炉から立ち上る煙で白く煙っています。亡くなったひとの遺族や葬儀を執り行う僧侶、火葬場を運営するひとで混雑する中、火葬炉の横に佇み煙と灰で霞む目をこすりながら火葬炉に火をくべる様子を見学しました。


帰路、私たちから200ルピーしか巻き上げられなかったホスピスのインド人は、ヒンドゥー教におけるカルマの話を持ち出し、よいことをすれば魂が救われるから何かを残していきませんか?と遠回しにさらなる金品を要求。夫がピーナッツ(1ヶ月前に中国で購入。開封済み)を渡そうとすると、「お年寄りはピーナッツは食べません」との謎の断り文句。最後には現金を要求してきたため、約束が違うと断りその場を後にしました。

後から他のGhatで会った関西弁を話すインド人(この人も怪しい)に聞くと、本来、Ghatの見学は無料だが、外国人を狙う「薪のための寄付くれ詐欺」が横行しているとのこと。嘘をつくとBad Karmaで魂が救われないと言いながら平然と嘘をつくインド人。信仰より現金が重視される社会である事を改めて肝に命じました。


ちなみに、巷ではガンジス川に行ったり火葬を見たりすると人生観が変わると言われていますが、今のところ私の人生観は変わっていません。


この他にも、インドではたくさん嫌な思いをしました。毎日腹を立てていた日々をありのままに表現した書籍を販売中ですので、ブログと合わせてお楽しみいただければ幸いです。
ahrd.hatenablog.com