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安田さんの解放と世界一周と自己責任について思うこと

フリージャーナリストの安田純平さんの解放・帰国のニュースを目にして真っ先に思ったのは「また多くの批判が出るのだろうな」ということ。そして案の定、有名人から匿名の人まで様々な人による批判を目にした。こういう日本人の精神には正直うんざりさせられる。

特に嫌なのは、他者を批判する際に人々が使う「自己責任」という言葉。この言葉には全ての責任を相手に帰するものとして突き放し、救いの手を差し伸べないという強い意志が感じられる。自己責任と言われた側は何も反論できなくなる。

しかし、全てを自己責任とするのであれば、セーフティーネットは不要になるし、税金を払う必要もない。政府や国は不要になる。失敗=自己責任となるため、挑戦する人はいなくなる。もちろん「イノベーション」なんて生まれない。危険を冒して紛争地域に出向き情報収集する人、戦う人、傷ついた人を治療する人もいなくなる。結果として、お金でそれらのサービスを買う必要が生じ、ジャーナリズムの弱体化や、国際社会における地位の低下につながる。

では、どこまでを自己責任とすべきか?個別の事象に対して線を引こうとすると、発言者の背景や思想に左右され統一見解は出ないはず。少なくとも、倫理を逸脱しない限りにおいては動機を問わず、積極的な行動の結果として生じる不測の事態に対しては救いの手が差し伸べられるべきだと思う。


アジアを中心に旅する中で、日本の清潔さ、安全さ、食事のレベルの高さを改めて感じている。日本は物理的にとても住みやすい国だと思う。それでも積極的に日本が最高だと言えないのは、帰国後に仕事が見つからず、生活に困窮した際に「自己責任」と批判されることが想像できるから。

今回のニュースをきっかけに、私自身は積極的に行動する人を応援し、バックアップできる人でありたいと改めて強く思った。また、安心して自分のやりたいことに集中できる国であってほしいと切に願う。もちろん、自分の決断の結果に対しては自分自身で責任を取ろうと思っているけれど。