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ベルリン・ポツダム観光記2/2(世界一周283~288日目)

観光記の前編はこちら

 

ポツダム宣言」でその名を記憶していたPotsdam(ポツダム)の街はBerlin(ベルリン)から約40km南に位置しており、日帰りで訪れました。第二次世界大戦の戦後処理が検討された場所であること、Berlinとともに宮殿群と公園群が世界遺産に登録されていることだけを理由に、そこまで大きな期待を持たずに足を運んだのですが、緑豊かで落ち着きのある散策にぴったりの街でした。

 

この日は初夏のような爽やかで日差しの強い1日。西側にある広大なSanssouci Park(サンスーシ公園)から街歩きを始めました。ここにはプロイセン王国時代に建設された宮殿やお城が点在しており、半日ほどかけてフリードリヒ2世の夏の離宮としてつくられたSanssouci Palace(サンスーシ宮殿)や、

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プロイセン七年戦争で勝利を収めた後、国威発揚のためヴェルサイユ宮殿を模して建てられたNew Palace(新宮殿)等を見物。

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王族の宮殿にしては規模が小さく、「お金持ちの人のシンプルな家」という印象。ドイツの建築物は全体的に大きさも装飾も控えめで好感が持てます。

 

公園内には、”Chinoiserie"と呼ばれる、ロココ様式に中国建築の要素を取り入れたデザインのChinese Houseや

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ヒラメ(カレイ?)のかたちの噴水など一風変わったものも。

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緑が目に鮮やかな気持ちのよい場所でした。余談ですが、ドイツは加工肉と乳製品が安価でおいしく、Potsdamへの遠征に持参したスーパーで購入した生ハムとチーズをパンに挟んだだけのお手軽サンドイッチが絶品で、かなりの満足感をもたらしてくれました。

 

街の東側に位置するNew Gardenには、ポツダム会議が開催されたCecilienhof Palace(ツェツィーリエンホーフ宮殿)がのこっています。イギリスのチューダー様式の影響を受けており、他の宮殿のデザインとは大きく異なる外観。

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中心部には、レンガ造りの建物が並ぶDuch Quarter(オランダ人街)が。これはフリードリヒ1世の命を受けてオランダ人の建築家によってデザインされた一角だそう。現在は観光客向けにレストランやカフェ、お土産屋さんが入っています。

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PotsdamにあるBrandenburg Gate(ブランデンブルク門)は、Berlinのものより小ぶり。それでも、それ以上に街中の建物が全体的に低いことから、道を歩いていると急に視界に入ってくるような感を受けるため唐突感があります。

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この観光記をブログにまとめるにあたり、主にWikipediaでそれぞれの建物がつくられた歴史的な背景を確認しています。中・高・大学と一貫して歴史の授業が苦手で、中でも国境や同盟関係が頻繁に変化し、同じ人物が異なる名前で複数の国を統治するヨーロッパ史は暗記が苦痛でおもしろさを感じる余裕などなかったのですが、自分の足で訪れたことでその背景に関心を持つようになりました。特に、フリードリヒ2世の生き様は興味深く、時間ができた時に彼の著書を読んでみたいと思わせられました。

 

ahrd.hatenablog.com

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